「24」で好きなキャラとか決定権とか

最近次シリーズの話題も出てきて相変わらず好調な「24」、シーズン6まで全て観た。主人公のジャック以外にもいろいろと濃いキャラクターが登場するので各人好き嫌い分かれるところかと思うけど、自分がシリーズ通じて非常に好きなのが「大統領首席補佐官」。

(ドラマ上の)初代マイク・ノヴィックから政権交代にともないトム・レノックスへと人物は変わるものの、果たす役柄はほぼ同じ。明晰な頭脳と冷静かつ冷徹な判断力で大統領を支え、と思いきや、国のためにやむなしと思えば大統領さえ陥れる(でも人として最後の一線は越えないという最低限のモラルは持っている)、というこのポジションと能力と性格が、自分にとって理想的。


とまあここまでは良いのだけど、ここから先は少々後ろ向きな話になる。「首席補佐官」という役職が決定的に素敵なのは、自分の組織に対して強力な決定力を持ちつつ、かつ最終的な決定に責任を負わない、というところ。


今の会社では誰がどう見てもNo.2のポジションで、年を重ねるに従い決定力、というか正確に言えば決定権に対する影響力は増す一方。1〜2年くらい前まではその状況にはただ満足だったのだけど、最近はその弊害として、事実上自分が決定を下したと思われる事案について、その判断がどうやら間違っていたらしいと気に病むことがしばしばある。「事実上」と書いたのは、会社組織である以上あらゆる意味で最終責任は社長にある、という理由にすぎず、まあ早い話が自分の責任と言わざるを得ない。


幸いそれを責めるような人は社内には誰もいないし、常に正しい判断をすることなんてできないので、誤った判断をしてしまったならば途中でできる限りの軌道修正をして、正しい判断がもたらしたであろう結果に寄せていく、あるいはそれも難しければ失敗から学ぶ、ということを考えるしかない。


ただし、「軽率な判断をしてしまった」というケースにおいては心情的に上記のような妥協が許されないため、内心結構凹んだりする。なので、今後、仕事においても私生活においても、決定権あるいはそれに近い権利を行使するにあたり、それだけは起こらないよう肝に銘じておこうと思う今日この頃。

とはいいつつも、昔CMプランナーの岡康道氏が言っていたように、「"考える"という行為は基本的には辛いこと」なのであって、人は(自分だけではないと思いたい)ちょっと気を抜くとすぐに軽率な判断を下してしまうのである。この言葉の意味するところは、「よく考える」ためにはかなりの努力が必要である、ということで、人生において大切にしたい言葉の一つだったりする。